昨年度、「お城のあるまちに暮らす。」をテーマに開催した地域学講座「丹波学トーク」の内容の一部を、テキストと写真でお届けします。
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お城が教えてくれること

シリーズ最終回は、城郭研究の第 1 人者である中井均さん、城郭ライターの萩原さちこさんをゲストに迎え、パネルディスカッションを行いました。当日の話題の中から、「惣構え」を中心に、現存する遺構から見る近世の丹波亀山城と城下町についてのお話をご紹介します。
■亀岡市のルーツ~近世丹波亀山城と城下町~
前回のレポートでご紹介したように、丹波亀山城は明智光秀の死後、 徳川幕府による「天下普請」によって大きく整備され、日本初の層塔型天守が築かれました。そして、この近世丹波亀山城とともに形成された城下町が、今の亀岡市のルーツになっています。
その繋がりがわかる もののひとつに、「惣構え(そうがまえ)」があります。
「惣構え」とは、近世丹波亀山城の特色の一つで、堀や土塁によって城下町を含むエリアを囲い込むバリケードのようなものです。内側に町を取 り込み、大軍を収容することで長期戦に備える防衛装置で、小田原城や、豊臣家の大坂城などにも築かれています。
丹波亀山城は河岸段丘(崖のような場所)の先端に築かれており、惣構えはその段丘を取り囲む重要な防衛ラインだったと考えられます。
惣構えの遺構は今も身近な所に残っており、このまちが近世城下町とつながっていることを教えてくれます。見慣れた水路や土手が実は惣構えだった、ということも珍しくありません。
近世、江戸時代の城下町は、「藩(はん)」という国家に一つしかない、政治・経済・文化の中心地でした。
全国的に見ても城と城下町を持つ藩は 200 ほどであり、「近世の城下町 だったことを、住む方には大いに誇っていただきたい」と中井さんは話してくださいました。
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有名な武将である明智光秀と結びつけるだけではなく、目の前に残された本物の遺構から近世丹波亀山城と城下町を見つめなおすことで、「お城のあるまちに暮らす」ことの誇りや喜びが感じられます。
歴史と自然は、お金では買えない資産です。
私たちがその価値を知り、活かしていくことが、誇りの持てる、住みよいまちにつながっていくのではないでしょうか。
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次回の更新

7月13日の予定です。「結びとお礼に代えて」をお届けします。

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